日中国交正常化40周年記念で開催!『中国王朝の至宝』

中国三千年の歴史など言われるほど、中国にはとてつもなく長い歴史があります。実際には三千年ではなく、六千年ともいわれる長い長い歴史があり、黄河や長江といった巨大な大河の恵みのもと、中国は高度な文明を発展させてきました。そして中国の文化には、他国にはない中国独自の文化と思想が脈々と長い長い時間をかけて受け継がれてきました。日中国交40周年を記念して、『特別展 中国王朝の至宝』が2012年10月10日から12月24日まで東京国立博物館平成館で開催されました。

『特別展 中国王朝の至宝』:第一章~第三章

日中国交正常化40周年を記念して、開催された『特別展 中国王朝の至宝』は東京国立博物館で2014年10月10日に開催されたのを皮切りにして、神戸市立博物館(2013年2月2日~4月7日)、名古屋市博物館(2013年4月24日~6月23日)、九州国立博物館(2013年7月9日~9月16日)と巡回で開催されました。展示されるものは、中国の各王朝時代のとても貴重な文物ばかりです。中国で一番最古の王朝といわれている夏の時代から4000年もの間、広い国土を有する中国各地にはいくつもの王朝が誕生して、そしてそれぞれ特徴がある豊かな文化が育まれてきました。それぞれの王朝が相互に影響を与えながら、多彩で多様な展開を繰り広げていき、世界に冠たる独自の中国文化を形成していき、その中国文化が近隣地域だけではなく海を渡り日本へも多大な影響を及ぼしていきました。

今回の展覧会では、夏から当の時代にわたる中国歴代の「王朝の都」まさしく王朝の中心地域にフォーカスして、各王朝の地域の特質が凝縮されたその時代の王朝を代表する文物を対比しながら展示するという、展示の新しい手法でダイナミックに展開してきた中国文化の確信へと迫ります。

展示される文物は、国宝級「一級文物」が約60パーセント、そして2008年(平成20年)に南京市の市街地で出土され日本初公開となる【阿育王塔】という、他に例のない傑出した工芸と大きさを誇る優良品のなかでも、特に優れた品と名高い文物も展示されました。

第一章~王朝の曙「蜀」と「夏・殷」

紀元前2000年から紀元前1600年頃、この時代に黄河中流域の平原に中国最古の王朝が誕生しました「夏」や「殷」です。そしてこの時代とほぼ同じ頃に、長江上流域の四川盆地つまり「蜀」と呼ばれた地域で黄河流域に誕生した王朝とは違う、別の勢力からなる国が形成されていました。金を多様した非常に高度な文化をもつ「古代の蜀」の王国です。「蜀」では人の姿をした神や各種の動物を崇めていました。

「夏や殷」では、細緻でいながらも強靭な造形を併せもつ青銅器や玉器を作っただけではなく、漢字の元になる文字を初めて体系的に使ったりと、まさに中国文化が形成されていくうえでの礎となりました。

「四川の金」と「中原の青銅」

第1章で展示されている「蜀」の一級文物は「金製仮面」です。金製の仮面で幅は5cmにも満たない小さな作品ではありますが、巧みな技巧で金板が加工されており神とも人とも思える顔貌を表現されています。

金製仮面は四川省成都氏金沙遺跡で出土しました。金沙遺跡は、四川省成都市の西郊外にあります。この金製仮面の出土により、金沙遺跡から少し北にある三星堆(さんせいたい)遺跡とともに、古代の蜀文化の存在を明らかにしました。蜀文化の特徴には、金をふんだんに用いたり、人の形やその一部を造形化するのが特徴になっています。「夏・殷」が使用するのは青銅や玉で、祭祀儀礼具を作り続けた中原文化とは大きく異なる文化の特徴をもっています。展示品の「金製仮面」は紀元前12世紀~10世紀の文物と推測されています。

「夏・殷」の一級文物は「爵」です。酒を温めるために用いられた、把手と細長い注口が付いている三足の器になっています。中原の初期王朝にみられるいわば典型的な青銅器の一種になっていて、これらは殷の時代の次の西周初期の時代まで流行していました。展示されている「爵」が出土したのは、河南省鄭州市商城遺址から出土していますが、殷時代前半の都城址からの発見ということで、一部の支配層が青銅の製作技術を独占して支配層の権威を象徴するものということがわかります。殷の時代の青銅器文化は、芸術性において最高の評価が与えられています。中国の青銅器は、祭祀儀礼用に製作されたものになっていますが、この種の青銅器は比較的古い形式を表す作品になっています。

第二章~群雄の輝き「楚」と「斉・魯」

「殷」の後に中原を支配したのは「周」です。「周」の時代も基本的に「殷」の青銅器の技術を受け継いでいますが、芸術性においては簡素化されているため「殷」の時代に比べれるとかなり低い評価になっています。「周」の以降が薄れると、中国各地に諸侯が並び立つ春秋戦国の時代になりました。

黄河の下流息で栄えたのは、「周」の流れを汲んだ「斉」や「魯」が栄えました。そして文化は「周」の伝統を残しながら諸子百家(しょしひゃっか)といわれる、文化や学問と学派そして儒家など様々な思想や文化が開花しました。その一方で、長江の中流域で、黄河流域の諸国とは、異なる風俗言語を持ち独自の文化を形成していた勢力の「楚」が隆盛を誇っていました。「楚」は土着的な信仰を色濃く残しており、シャーマニズム的な要素を持ち合わせていたようで神秘的な姿をした獣を神として崇めて動物信仰が盛んでありながらも、古来の神話体系を尊み守護したりと「楚」独自の文化を展開していました。

今に残っている青銅器や木漆器といった、この時代の代表的な文物から選りすぐられた品で、南方の雄だった「楚」と中原の伝統に連なっている「斉・魯」の文化を比較しながら、古代中国時代の文化を浮き彫りにします。

南方の神秘「楚」と中原の伝統「斉・魯」

春秋戦国時代で「楚」は文化的に注目を集めますが、それには「楚」が独自の文化を形成していたからです。「楚」の時代には他国にはない独自の出土物が多く確認されています。今回展示されているのは一級文物で木製・漆塗の「羽人」(うじん)です。出土したのは湖北省荊州市天星観2号墓です。楚の都付近の墓から出土していることから、副葬品とも思われます。四足を折ってうずくまった動物の上に乗るのは、羽を広げた鳥です。そしてその鳥の上にさらに上に、鳥のくちばしと尾羽を持った1本足の異形の姿の物が立っています。

木で各部は成形されていて、その表面には漆を塗って彩色して仕上げられています。考えられるのは「楚」の土地で崇められていた何かしらの「神」を表現したものだと思われます。「楚」ならではの独自の文化を表すものであり、「楚」の独自に発展した文化の実態を示唆する珍しく貴重な作品です。

中原の伝統ともいえる青銅器文化を表している一級文物「犠尊」(ぎそん)は、「斉・魯」の時代のものです。青銅器の容器は、動物の姿をかたどっており、背中の中央に円形の蓋が備わっています。おそらくお酒をいれて、祭壇などに供えられたと考えられています。動物の姿は、筋肉の形状と質感を的確に造形したあり、動物の表面には。金銀やトルコ石などが象嵌してあるだけではなく、極めて細かくそして詳しい文様が描かれています。まさにその当時の最先端の技法がふんだんに駆使された傑作ともいえる作品です。出土したのは山東省淄博市臨淄区商王村からで、山東半島にかなりの勢力を誇った「斉」の都付近から発見されているため、中原の高度な青銅器文化をうかがえる作品です。

第三章~初めての統一王朝「秦」と「漢」

紀元前221年に中国を統一した王朝は「秦」です。周代から春秋時代そして戦国時代にわたって、黄河と長江の中下流域に覇を競い合ってきた諸国のなかから、西方から興った「秦」が各諸国を滅ぼし、「秦」の誕生で中国史上初となる統一王朝が出現しました。それこそが、始皇帝による秦王朝です。始皇帝は、それぞれ国ごとに異なっていた文字を統一させ、物の単位も統一させそして諸制度も統一することで、中央集権国家を実現しました。

「秦」の時代は紀元前206年に滅亡という短命に終わりますが、「秦」の次に中国全土を治めたのは「漢」です。「漢」は「秦」の制度の多くを引き継ぎます。「漢」の治世は前後併せて400年も続きますが、かなりの長きに渡って続いた理由のひとつとして、人民の反発を受けることなく「秦」の制度を踏襲できたことがあげられます。「秦」の体制を継承しながらも「漢」はますます発展をしながら国家体制を整備していき、また儒教を奨励して統一王朝の永続的な運営基盤を築いてきます。そしてさらに南北や西方へも「漢」は勢力を伸ばしていき「秦」をしのぐ広大な領域を支配しました。

絶大的な権力を背景に成立した「秦」の時代のとても稀な文物と、400年という長期に渡り中国全土を安定的に統治した「漢」の古典的な様式美が結実した文物の展示で、「秦」と「漢」それぞれ統一王朝のもとで展開された新たな中国文化の特色を比較してみましょう。

「秦」絶対権力が生んだ破格の美・「漢」安定と洗練が育んだ様式の美

紀元前221年に「斉」を滅ぼした政は、自らを皇帝と名乗り始皇帝となりました。始皇帝が持つ絶対的そして独裁的な権力を行使して「秦」を治めた始皇帝は、生前から巨大な陵墓を造営します。自らが入る陵墓には、自分の死後も続くべく永遠の安住世界を陵墓に具現しようとしました。そこには、6000体をも超える兵士や馬の人形が埋められていました。これらは兵馬俑坑(へいばようこう)と呼ばれるものです。

展示品の一級文物「跪射俑」(きしゃよう)が出土したのは、陝西省西安市臨潼区始皇帝陵兵馬俑2号坑出からです。始皇帝の陵墓に副葬されていたこの作品は、写実的な美しさが見事です。この兵馬俑は、跪(ひざまづ)いて、弩(いしゆみ)を構える姿そして顔立ちもとてもリアルな作品です。近年の調査では、絶対的な権力をもつ始皇帝は来世へも生前の生活そのものを、来世へも持っていこうとしたのだと考えられています。兵士の俑には、同じ顔がどれひとつとしてない。という紛れもない事実があります。圧倒的な権力を持つ始皇帝時代の「秦」時代の文化性格を象徴している作品です。

「漢」の時代も「秦」の時代と同じように俑が作られていました。ただし、「秦」の時代のような大型の俑ではありませんが、皇帝を始めとして貴族階級の墳墓には、必ずとまでいえるほどいろいろな俑が副葬されるようになっています。それは、亡くなった後死後の世界でも、現世と同じような生活を送るという当時の死生観が反映されているからです。

展示されている「女性俑」は「全漢」の時代のもので、前漢第6代皇帝の景帝に使えた高官の墓から発見された女性俑です。型が使われており型から基幹部を作られていて、細部を整形してから鮮やかに彩色がほどこされて仕上がっています。隅々まで安定しており、均整が取れている端整な姿から漢文化の様式美をうかがうことができます。

『特別展 中国王朝の至宝』特別展示品の国宝「阿育王塔」など一級国宝がすごい

『特別展 中国王朝の至宝』特別展示品の国宝「阿育王塔」など一級国宝がすごい イメージ