漢・隋・唐の時代の至宝品

漢の初代皇帝は劉邦です。「漢」は前漢後漢といった漢400年の時代だけではなく、中国全土をさす言葉としても「漢」が使われ「漢民族」「漢字」など、特定文化をさす「漢」は、漢王朝の名前から由来しています。

そして漢時代が幕を降りてから、時代は三国時代へと入ります。『特別展 中国王朝の至宝』の第三章からは南北朝へと時代は移り、「唐」そして「遼」「宋」へと第六章までで展開されています。

『特別展 中国王朝の至宝』:第四章~第五章

漢王朝の国号は、劉邦が皇帝として即位するにあたり旧来の国号だった「漢」をそのまま統一王朝の国号として用いました。中国歴史の中で、史上初めて統一王朝となった「秦」王朝の始皇帝は、中国で悪例として残っておりその後の混乱を収めた劉邦(高祖)は好例としてあげられます。「皇帝(英雄)とはかくあるべき」という理想増として、後世にわたり多くの人々の心に形作られることになります。その中でも特に劉邦と張良との関係のような有能な部下を全面的に信頼して、その才能を遺憾なく発揮させるということはいまでもたびたび引き合いに出されるほどです。「漢」の時代の都は長安でした。

第四章~南北の拮抗「北朝」と「南朝」

400年続いた漢王朝が滅亡して、時代は魏・呉・蜀の三国時代になります。280年に呉を滅ぼして、三国時代を終焉させて「晋」による一時的な統一の後に、北魏が華北を統一した439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期が、南北朝時代です。華北と華南に王朝が対峙するという時代でした。

北方民族が支配する王朝が続いたのは華北です。華北では、仏教文化が隆盛するとともに、絶え間なく流入してくる外来文化と、伝統的な流れを汲む中原文化とが融合しうことで、従来の中国にはみることがなかった清新な文化が勃興しました。

その一方、華南はどうだったのかというと、中原から逃れた漢族がそのまま王朝を維持していきます。そして我らこそが漢文化の正統を自負する中で、文化のまさに爛熟期ともいえる時を迎えました。そして華南は、北朝や外来からの刺激にも触発されて、俑や陶磁器の様式に見られるように、従来から脈々と続く伝統からの脱却を図ろうとする機運も芽生えていきました。

展示物されている文物が出土した場所は、北朝の大同(だいどう):山西省大同市、南朝の建康(けんこう):江蘇省南京市、という南北朝時代それぞれの中心地域から発見された文物に焦点を当ててながら、南北が相互した交流も視野に入れつつ、南北朝という動乱期に「北朝」「南朝」とそれぞれの道を歩んでいった中国文化変遷の有様を対比していきます。

「北朝」清新な北方文化と、「南朝」燗熟の伝統文化

北魏時代の484年の作品で、華北を統一した北魏の高官の墓から出土した一級文物「天人龍虎蓮華文柱座」(てんにんりゅうこれんげもんちゅうざ)は石製品です。おそらく何かしらの柱を立てた台座と見られますが、それは蓮華が大きくかたどられた上面の中央に円孔が開けられているからです。中原文化の伝統的な龍と虎が蓮華の周囲に表現されています。そして西方分化の影響が色濃く認められる部分は、丸々として張りがある童子形の天人の造形や、側面に刻出されている唐草の文様などから今までにはない西方分化の影響が見られます。在来している分化と外来の文化をうまく融合して、彫塑や金属器に優れた手腕をいかんなく発揮した北朝文化の特色が伺える作品です。

一方の華南では、都の中心となった建康を中心にした文化が花開きます。華南では伝統的な漢文化を継承した仏教文化が隆盛しました。展示されている一級文物は「仙人仏像文盤口壺」(せんにんぶつぞうもんばんこうこ)という壺です。この器の表面全体に神仙人世界の図像が描かれています。雲気や仙人を主とした図像の中に、外来の神である仏像を浮き彫り風に表現しているとても珍しい意匠の作品です。時代は晋の前、三国時代にさかのぼりますが、基本的な器形や文様は漢時代以来続いている伝統を踏襲しつつ、外来からきた仏教的なモチーフが取り入れられているため、この作品からは南朝文化のさきがけを見ることができます。

第五章~世界帝国の出現「唐」・・長安と洛陽

魏晋南北朝時代の混乱を沈めて、西晋が滅んでから分裂していた中国を300年ぶりに再統一したのは「隋」です。再統一された「隋」ですが、隋の第2代皇帝で中国史を代表する暴君の煬帝の失政で「隋」は滅亡します。その「隋」の後を受けて誕生したのが「唐」です。「唐」は皇帝を頂点として、その下に文武百官を秩序正しく位置づけて、国土の広い中国の地方の隅々に至るまで行政機関を整備したりと、7世紀の最盛期には中央アジアの砂漠地帯を支配したほどの大帝国でした。

近隣諸国はもちろんのこと、日本や朝鮮半島などに多大な影響を与え日本からは遣隋使に続いて「唐」の時代は遣唐使を送り、積極的に交易と交流を続けていきました。地中海沿岸地域からも、外国から入貢することが相次ぐほど、諸外国と「唐」は交易することで「唐」は空前の繁栄となりました。「唐」の時代の都は長安ですが、そこには常時1万人もの外国人が暮らしていたといわれています。そして「唐」の時代の長安は、かつてないほどに、国際色に富んだ華麗な文化が開花しました。そして副都として位置づけられた洛陽(河南省洛陽市)も、長安と同じ様に、活気があり賑やかで、芸術活動が華々しく展開されていきます。世界文化遺産に登録されている龍門石窟(りゅうもんせっくつ)に代表されるような、仏教や道教の造像も隆盛をきわめた時代でもあります。まさにこの時代の息吹を象徴する「長安」と「洛陽」という「唐」の時代を象徴する二つの都の文物を取り上げていき、「唐文化」の特質と中国史上におけるその意義を探っていきましょう。

絢爛の国際都市「長安」と聖なる宗教都市「洛陽」

8世紀の作品で、兆案しろの北東区域に建立されていた安国寺の跡から出土した、一級文物「金剛神坐像」(こんごうしんざぞう)は大理石製の仏像です。安国寺からは11本の仏像が見つかっていますが、それらはすべて現存していない唐時代がまさに繁栄していた時代の密教系仏像の貴重な品として、極めて高い価値を持っています。もともとこの仏像は、金箔や彩色がほどこされていたと思われます。キラキラと輝く大理石の肌合いと金箔と彩色は、まさに長安の絢爛とした雰囲気にふさわしい仏像です。国際的に唐の都長安という都市にふさわしい華やかな趣をかんじる作品です。

「唐」の副都市の洛陽の郊外に5世紀末期に開かれ「龍門石窟」(りゅうもんせっくつ)の仏像です。仏教信仰の聖地となった龍門石窟には、多数の石窟と仏像が作られました。「唐」にあっても、尊敬と崇拝を集めることになり、かなりの数の大規模な造像が行なわれました。展示している一級文物の「仏坐像」(ぶつざぞう)は、石灰岩という硬い岩盤に彫刻されているため、細長い線の形でやや硬い表現になっていますが、均整がとれており破綻のない造形美には、中央の造像ならではのとても高い洗練された姿がうかがえます。

『特別展 中国王朝の至宝』特別展示品の国宝「阿育王塔」など一級国宝がすごい

『特別展 中国王朝の至宝』特別展示品の国宝「阿育王塔」など一級国宝がすごい イメージ