宋の時代

宋の時代に、政府が意味のない像や鐘を建造するために、銅・鉄を使用することを禁止していたため、宋の時代の彫刻は、基本的に木製になっています。『特別展 中国王朝の至宝』の第六章で展示されている宋の時代のものが、木製になっているのもそのような理由からでう。仏教彫刻では唐の時代が一番頂点とすると宋の時代は衰退期にあたります。そして宋の時代の仏教彫刻も現存しているものがとても少なくなっています。ちなみに、唐の時代の彫刻は豊満で華麗な彫刻になっていますが、宋の時代の彫刻はスレンダーになっていて華奢な印象を与えます。唐の時代の美人の概念が、宋の時代とは違っていることが伺えます。ちなみに楊貴妃は唐の時代美人といわれるだけあり、豊満な肉体だったと伝えられています。

宋の時代の食文化

宋の時代の料理は、日本料理に通じるあっさりとしたお味だといわれています。現代の中華料理は油がたっぷりの油っぽい印象がありますが、これは元の時代にモンゴルからの影響を受けたもので宋の時代はとてもあっさりとした料理だったといわれています。そしてすでにこの時代には、今の中華料理で使われる材料がほとんど出尽くしているというのがさすが食の中国ということが伺えます。

食材

宋の時代の食材の中で、肉類ではヒツジ・アヒル・ガチョウ・ニワトリ・ウズラ・ハト・ヒナドリ・ウサギなどが料理名として挙げられています。そしてブタはとても盛んに食べられていましたが、その当時のブタ肉は「泥みたいに安くて、金持ちは見向きもしない。貧乏人は料理の仕方を知らない。」とされていて、ブタ肉は安物とされていました。肉料理では、内臓料理なども多くあります。

魚介類では、コイ・エツ・イシモチ・アオウオ・コクレン・ハクレン・ソウギョ・フグ・ヒラウオ・フナ・海老・蟹の甲殻類・貝類(ホラガイ・ホタテガイ・アカガイ)・ドジョウ・ウナギなどなどたくさん食べられています。

果物や野菜も数多く利用されています。野菜では、大根・春菊・竹の子などがあります。野菜の調理方法は、おひたしやお吸い物が多くなっています。果物は瓜・桃・梨などが食べられていて、レイシ(ライチ)は高級品として、とても珍重されていました。

主食

華北は麦といった雑穀類が主食で、華南の主食は米です。米はそのまま炊いて食べるか、雑炊のようにして煮込んで食べられて、小麦は粒状に加工して食べていました。宋の時代を通じて次第に互いの間へ浸透して行き、華北の米食と江南の粉食がそれぞれ増加していきました。

小麦の加工品は、ひじょうに種類が多くなっています。蒸す・焼く・揚げる餅類と、茹でるといった麺類に分けられることができます。

麺類も、包丁で切る切麺、手で延ばす延麺、水に溶いた小麦粉を湯に流し込んで作る発麺に分かれます。そして麺を食べる時には、細切りの鳥や魚などを乗せ食べていたというので日本でいう冷やし中華のようなものを想像することができます。

持ち類でも、すでにこの頃には焼き餅や餃子系のもの、そして焼餅には肉まんのように中に肉などの餡が包まれているものなどもこの時代にすでに食べられていました。

お茶

唐の時代には、もう既に喫茶の風習が広がっていました。そしてお茶は書物に載っていることによると、「茶は食物であり、米や塩と異ならない」とされていて、米や塩などと同じ重要性をもって語られています。そして宋の時代には、皇帝はもとより貧民までも茶を飲むということは、まさに生活に根付いて生活を送る上で不可欠なものとなっていました。

宋の時代では、「茶」は「片茶」(へんちゃ)と「散茶」(さんちゃ)に分けることができます。「片茶」は茶葉を磨り潰して固形にしたもので、「散茶」は現在私たちが飲むような一般的な葉で淹れる茶のことです。宮廷で使用される最高級の片茶を「龍鳳茶」といわれていて、その詳しい製法が残っていますが、散茶については製法が伝わらていません。散茶の一種に「末散茶・屑茶・末茶」がありますが、これらは葉茶を粉状にした現在の抹茶のようなものだと思われます。

宮廷で使用する茶は、建州(現:福建)にある北苑と呼ばれる宮廷御用達の茶園でほとんどの大半のお茶は作られています。その量は、宋の時代の太宗の太平興(976年~984年)の初めに、わずか50片であったものが、哲宗の元符年間(1098年~1100年)に、1万8千となっていて、徽宗の宣和年間(1119年~1125年)には、なんと4万7千になっています。ちなみに、唐の時代に茶の使用量が大幅に増えたことが分かります。

龍鳳茶の製法

作られた龍鳳茶は、皇帝や皇后の食事に出されます。そしてそれから臣下に下賜されて消費されていきます。皇室用の最高級茶は「民力を疲弊させる」として、明の太祖によっ最高級の龍鳳茶は廃止されることになりました。

一般庶民が飲むお茶は、手間もお金も省かれていたものだと思われます。皇帝から下賜されたお茶を大いに喜び、この時期には茶が読まれた詩が多くなっています。また茶をあじわうことで、産地や銘柄をあてる闘茶も盛んに行われていました。高級なお茶を飲むことができるのが、ごく一部の高級官僚だけで他の身分の庶民たちは、自分の領地でお茶を栽培したり民間の茶店で買っていました。

町にでれば茶店もたくさんあり、お店では職業や身分を関係なく、同じ席でお茶を飲み交流の場所となっていたことが伺えます。そして茶を楽しむ喫茶の風習は、都市だけではなく農村にも広がっていきました。貧民でも、塩・米・茶は毎日欠かすことが出来ないといわれるほど、皇帝から庶民までひろくお茶が飲まれていたことがわかります。

料理店もある

宋の時代の首都の大通りには、点心のお店やお酒を飲む見せ、茶店などかなりのお店が軒を連ねていました。その数は酒店だけでも、3000を超えていてすべての数を合わせると万を超えたといいます。店内に入ると「行菜」と呼ばれる現代の給仕が、お箸と紙を持って注文を聞きにやってきます。この時に、「熱い・冷たい・脂の多少など」といった好みを細かく注文することも出来ます。

このときに注文を間違った場合には、店主の叱責を受けることになり、給料が減らされたりさらに酷い場合にはクビになったりしたといいます。またお店で出す料理以外にも、碗などに料理を入れて持ってくる、押し売り的な人たちも店には出入りしていました。

高級官僚や富豪の通う、「正店」と呼ばれる72の高級酒楼には妓女が付き物でした。そして最大級のお店には、なんと数百人の妓女がいて、お店の多くには風流な庭園を設けていたといいます。まさに高級料亭のようなつくりです。また妓女にも流しといわれる妓女がいて、勝手に店内にはいり勝手にお酌して回り、そして後から料金を請求したそうです。

等級別の酒

宋の時代以前のお酒は、主に米・きび・高粱(もろこし)などから造られていましたが、宋の時代になるとお酒造りは、他にも粟・小麦・大麦といった原料も増えるようになりお酒も多様化していきました。

その中でも、特に庶民に好まれたのが今でも飲まれている清酒の白酒になります。都市などの居住地区にはおさけを売るお店があり、客商や住人を相手にして小酒が(春から秋まで熟成)5~30銭の26等級。大酒が(春から翌夏まで熟成)8~48銭の23等級に分けられて販売されていました。この時代にすでに、お酒の種類も等級別で値段の差がつけられて販売されていたことが驚きです。

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